では、韓愈の妻となった盧氏という女性はどのような素性なのでしょうか?
花婿になった韓愈が結婚時点でまともに官職に就けず、要するに貧乏だったことを考えると、当時の社会通念で見てもあまり好条件の家柄の出身の花嫁ではなかったことが想像できます。果たして盧氏は韓愈同様に幼くして父を亡くし、苦労して育った女性だったようです。
韓愈が書き遺した墓碑銘などの文章から推測するに、盧氏(名前が不明なので、姓で呼ぶこととします)は范陽盧氏の出身とされ、河南府法曹参軍の盧イ〈貝+台〉とその妻苗氏の三女として生まれました。兄が2人、姉が2人いたことが韓愈の文章から判明しています。
兄は上から盧於陵(ろおりょう)?盧渾(ろこん)といいました。
盧イは河南府法曹参軍まで勤めましたが、若くして憤死しました。河南府とは現在の洛陽市のことで、法曹参軍とは郵駅すなわち公用旅行者用の宿場を管轄する下級役人(正七品)のことです。韓愈の『処士盧君墓誌銘』によれば、河南尹(河南府の長官)と対立して投獄され、その後釈放されたものの血を吐いて死に、洛陽で葬られたと記述されています。若くして未亡人となった妻の苗氏は幼い子供たちを抱えて苦労しましたが、何らかの理由でベン州にいる韓愈に末娘を嫁がせることになったのでした。メル友募集
韓愈が姑のために書いた『河南府法曹参軍盧府君夫人苗氏墓誌銘』に「男二人あり、於陵?渾。女三人あり、皆嫁して士の妻と為る」(息子が2人おり、名を於陵?渾といった。娘が3人おり、全員が知識人の妻となっている)と記されているので、韓愈と結婚した三女だけでなく、姉2人も一応はまともな結婚をしたと考えてよいでしょう。
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